お母さんからのお便り

安松幼稚園の雰囲気が
よくおわかりいただけると思います

年長さん 卒園にあたって

令和6年3月16日
書ききれない程たくさん感謝
日本一の園が  通える所にあったなんて  本当に奇跡的で幸せなこと
先生方の熱意と愛情  そして覚悟と責任をもって
何事にも全力で取り組まれる姿を  全身で感じた4年間
年長梅組 石井裕可子

安井理事長先生 全ての先生方へ
 涙、涙の卒園式が終わり、ようやく心の整理がついてきました。
最後の手紙を書きます。
 芽生えからの4年間、親子共々、本当にお世話になりました。心より感謝申し上げます。
先生方の熱意と愛情、そして覚悟と責任をもって、何事にも全力で取り組まれる姿を、全身で感じた4年間でした。
 こんなに素晴らしい先生方がいらっしゃる園、学校は、他どこにもありません。
日本一の園が 通える所にあったなんて、本当に奇跡的で幸せなことでした。
 お陰様で息子は見違えるほど成長しましたし、私自身もがらりと思考が変わりました。
理事長先生のお話は、いつも勉強になり、生活と人生の指針となっておりましたが、これからそのお話を拝聴できなくなると思うと、本当に残念で寂しく、もぐりで行こうかと思っているくらいです。追い出さないで下さいね。
 小学校へ行っても、周りの空気に流されぬよう、まずは親が手本となり、自ら律しながら子供と向き合っていこうと、今一度 腹を括った次第です。
 これからの時代はもっともっと変化していくでしょうが、日本に生まれたからには 日本国を愛し、国を守っていく精神を、次世代につなげていかなくてはなりません。
その様な大切な教育の基本を教えて下さった安松幼稚園の更なる御発展と、先生方の御多幸を心よりお祈り申し上げます。
 書ききれない程、たくさん感謝しております。
本当に有難うございました。

令和6年3月16日
安松幼稚園は  娘を主人公にしてくれました
家族以外に  自分が目一杯に楽しみ輝ける場を持てたのは
ひとえに先生方が  娘と本気で向き合い  親である私をも導いて下さったから
年長桃組 月木智美

上木原先生 全ての先生方へ
 いよいよ卒園を迎える日となりました。
思えば4年前、芽生え教室の無料体験で年長さん達の歌唱力に圧倒され、また帰り際に元気に「さようなら!」と挨拶してくれた子供達のキラキラした目に、「ここの幼稚園に通わせたい!」と決意したのが昨日の事のように思い出されます。
 入園当初は、毎日のように登園を渋って泣いていた娘も、気が付くと、園で習った歌を嬉しそうに口ずさむようになり、一つのイベントを終えるごとに一回り成長し、何も教えていないのに平仮名をマスターして、妹に絵本を読んでやる姿に驚くやら嬉しいやら、「安松幼稚園はすごいなぁ!」と思ったのを覚えています。
 娘は環境の変化に慣れるのに時間がかかり、クラス替えの度に緊張してしまい、菅先生、上木原先生には大変ご迷惑をおかけしました。しかしどの先生も真剣に娘と向き合い、心を込めて接して頂いたので、時間の経過とともに娘は元気に笑顔になることが出来ました。
年少の時に副担任だった赤星先生は最後まで娘によく声を掛けて下さり、藤本先生はいつも笑顔で、年中からずっと私達親子を見守って下さいました。
そして居島先生には、何と言っても『光の種』で娘に愛情と情熱をかけて下さり、親の私にも感動と励ましを下さいました。
 この遊戯を通して娘は大きな自信をつけ、一回りも二回りも成長したと思います。泉の森ホールの、あんな大きな舞台で演技する娘を見られるなんて……。年少の頃は、「うちの娘に、年長さんのあんな遊戯や劇ができるだろうか? どう考えても無理……」と思っていたのが嘘のような光景に、涙が止まりませんでした。
 安松幼稚園は、娘を主人公にしてくれました。
園の中で娘は自分の家族以外に、自分が目一杯に楽しみ輝ける場を持てたのだと思います。それはひとえに先生方が娘と本気で向き合い、親である私をも導いて下さったからだと思います。
 本当に4年間、ありがとうございました。
追伸:
それから…余談ですが、先日公文の体験学習に行った時に先生が驚き、「やはり安松の生徒さんは、読解力がすごいし字も上手い」とおっしゃいました。
 また子供の遊び場でも、娘たちが遊んでは片づけ、片づけては遊んで、最後はちゃんと挨拶する姿に保育士さんが、「さすが安松幼稚園の子」と、おっしゃっていました。
 今さらながら、高い教育力に感謝しています。
ありがとうございました。

令和6年3月16日
安松幼稚園では  全ての活動の根本に、「人としてのあるべき姿」
「日本人としての心・情緒」「精神力」という活動目標が一貫して
年長桃組 矢野裕里香

安松幼稚園の先生方へ
 満3歳児からの入園、約4年間、大変お世話になりました。
卒園式の前日、「ママ、一緒に出席ノート見よう」と言ってきたので、4月から見返しました。
【4月】教室の入るまで、ドキドキやったな。
【5月】誕生日だから、飛行機してもらったの!
    岸和田城にも行ったな。
【6月】最後の誕生会は大成功やったやろ?
【8月】そうそう、この日は夕べの集い! ケンちゃん人形は今何をしているかなぁ?
……
【10月】運動会の指揮さん、もう一回やりたかったな
【12月】文化発表会は、一番憧れてた太鼓チームでさ、膝も腕も痛いけどやり切った。
【3月】泉の森コンサート、練習しんどいけど、安松の年長さんやから頑張れた!
……
 ページをめくり、日付を指差しながら思い出を語りました。
3月まで見終わり、ノートを閉じ、「桃組とお別れするの…嫌やな…」と、泣きそうになる娘。私も泣きそうでした。
 安松幼稚園で、歌や俳句など日本の文化、マラソン、工作・造形…たくさん学ばせてもらいましたが、全ての活動の根本に、「人としてのあるべき姿」「日本人としての心」「精神力」という活動目標が一貫しており、先生と子ども、親が同じ熱量で、同じ方向を向いているから、子供たちは皆、立派に成長できるのだと思います。
 この先、娘の人生には楽しい事だけではなく、様々な逆境があるかもしれませんが、概ね心配しておりません安松幼稚園で何事にも全力でやり抜き、美しい歌や絵を見て感動し、学んできた経験をバネに、乗り越えていけると確信しております。
 これからも、この安松幼稚園から日本人としての心を学び、成長した未来ある子供達が、これからの日本を支えていって欲しいなと願っています。
 最後になりますが、安松幼稚園および先生方の さらなる益々のご発展とご多幸をお祈り申し上げます。

令和6年3月16日
とにかく授業が楽しい  親の私にもすごく学びになる授業ばかり
この授業を受ける子ども達は幸せ
年長梅組 可山美佳

前田先生へ
 年長の1年間、大変お世話になりました。
これが最後になると思い、感謝の気持ちをお伝えしたく手紙を書きました。
 先生の授業はとても楽しく面白い中にも、子供達に大切な事や 学ばないといけない内容のお話も入っていて、参観に行っている親の私にもすごく学びになる授業ばかりでした。
そんな授業を毎日受けられる子供達はすごく幸せだし、先生にはありがたい気持ちでいっぱいです。
 先生の話を聞く力もつき、字も気付くと書けるようになっていて、小学校でやっていけるか少し不安だった気持ちも、最近は倖翔なら大丈夫かなと思うようになってきました。
文化発表会の時も、長く休んでしまったにも拘らず、堂々と言語発表や劇をしている姿を見て、主人も私もすごく驚いたのを今でも覚えています。それも毎日、先生方がたくさん指導して下さったお陰なんだろうなと思っています。ありがとうございました。
 年長に入ってから毎日幼稚園が楽しいと話していて、前田先生 大好きな倖翔、先生と離れるのは寂しいですが、小学校でも倖翔らしく頑張れると思います。
 先生も、子育てとお仕事の両立は大変だと思いますが、笑顔いっぱいの前田先生 これからも続けて下さいね。
 末っ子の蒼翔が入園した時には、よろしくお願いします。

令和6年3月16日
安松幼稚園のすごさを感じた瞬間
創立75周年記念コンサートでは何度も鳥肌がたち
園ホールで「誕生日」という歌を聴いた時の衝撃も忘れられません
3年間  熱い本気の指導をして下さり 感謝の気持ちでいっぱい
年長児のあるお父さん

拝啓
 旅立ちの春を迎え、日増しに 温かさを感じています。
 安松幼稚園の先生方には、3年間、熱い本気の指導をして下さり、感謝の気持ちでいっぱいです。
 先日の創立75周年記念コンサートでは、6歳とは思えない素晴らしい歌声に、何度も鳥肌がたちました。
 また昨年度のホールで「誕生日」という歌を聴いた時の衝撃が忘れられません。
少し気持ちが沈んでいた私に、園児の溢れる表情・歌声に、涙が止まりませんでした。家に帰り歌詞を確認すると、また涙があふれてきました。
安松幼稚園のすごさを感じた瞬間でした。
 親子共々、成長させて頂いた3年間、ありがとうございました。
先生方、お身体をお大事になさって下さいませ。

敬具
令和六年三月十四日 
年長児の父より

令和6年3月16日
長男の芽生えさんから合計8年間
安松幼稚園を選んで良かったと思える  宝物のような日々でした
年長桜組 山本寛子

竹口先生 志摩先生 お世話になった全ての先生へ
 安松幼稚園での全ての行事が終わり、本当にお別れだなぁと寂しく、何とも言えない気持ちです。
 卒園式では厳かな雰囲気の中にも一体感を感じられる楽しい時間もあり、最後の授業参観のような、安松幼稚園らしさがつまった式でした。
 入園式では一人で席に座れなかった侑弥が堂々と卒園証書を受け取り、誇らしげに手を振る姿に感極まってしまいました。
 安井先生のお話では、保護者の私達も最後の授業を受けているようで、そして10年以上前に長男の幼稚園選びを考えていた時の事を思い出しました。
当時は初めての子育て・イヤイヤ期に毎日悩み、周囲には「子供にきちんと言い聞かせないと」と言われる一方、当時通っていた子育ての施設では「ここでは、ダメと言って叱るのは禁止です」など、自分の子を叱るにも基準があいまいなままでした。
 この子にとって、何が、どんな園が良いのだろう? と色々考える中で、安松幼稚園のHPを拝見した時に、「やっぱりそうなんだ!!」と、教育方針等を読んで腑に落ちたような感覚になった事を覚えています。
「お母さんのお便り」を読んでは、「早くこんな風に成長してほしいなぁ」と思い、入園が待ち遠しかったです。お陰で、芽生え教室~卒園まで、しっかりと成長することが出来ました。

4月の進級式で竹口先生が、「これからの1年間で小学校へ送り出せるように、しっかりと準備していきます」と、お話されてからは、想像以上に早い1年間でした。
侑弥にとっても、遠足・夕べの集い等思い切り楽しむ事と、運動会・文化発表会・泉の森コンサートと真剣に取り組む経験両方があり、充実した1年だったと思います。
特に運動会のリレーで最後に一人だけで運動場を1周した時には、走りながらどんな気持ちだったんだろうと気になって聞いてみると、「楽しかった」と言っていて、本当に強くなったなぁと思いました。写真でも楽しそうに笑顔で走っていました。
同じように文化発表会でも毎日の練習、また本番でも楽しそうにやり切っていました。
寿限無、劇、合唱と全てが最高でした。
 泉の森コンサートでは、私にとってはとても感慨深い行事でした。
7年前に長男が、同じようにコンサート終了後にカーネーションを頂き、私の所に来て「お腹の赤ちゃんにどうぞ」と渡してくれました。
その時の子 侑弥も元気に成長し、同じ舞台で立派に歌い切った姿を見ることが出来て本当に良かったなぁと、75周年記念コンサートを企画して下さった先生方にも感謝です。
 一緒に鑑賞した母や夫の両親は、「あんなに沢山の歌をよく覚えて歌えたね」と感心していましたが、その時に改めて、全ての歌を覚えるのはもちろん、私達が聴いて感動するレベルにまでご指導して頂いた事、そして子供達が表現出来る事は当たり前ではないんだなぁと実感しました。
「どんなときも」は、私はサビの所だけしか知らず、「どんなときもー♪」と鼻歌で歌っていましたが、将来自分の子が歌詞に感情を込めて立派に歌うようになるなんて…。
何かのご縁を感じるような、これも安松幼稚園だからこその経験だなと思いました。

 最後の行事、お彼岸コンサートでは、大先輩の75年前の一期生の方、5期生の安井先生、75期生の子供たちまでと、幼稚園設立当時からの教育方針が脈々と受け継がれている事の凄さと歴史を感じました。
 長男が少・中学生と成長するにつれて悩みも様々ですが、最後には「これって、安松幼稚園でいつも言っていたよね」と、原点回帰するような事が何度もありました。
先生方が子供達の為に教えて下さった事を、私も忘れずにいたいと思います。

 卒園の2,3日前に、侑弥が「小学校と幼稚園がつながっていたらいいのに…」とぽつりと話したことがあります。私も「本当だね。安松小学校があったらいいのにね」と応えながら、本人の寂しさを思うとともに、本当にそうだったらいいのにと思い、涙が出てきました。
年少から年長までの3年間、毎日の幼稚園での楽しかった事、習った歌や俳句・論語など色々と教えてくれて、私にとっても一緒に学んでいるような日々でした。
スポンジが水を吸収するように…とはこの事かと思う程、新しい事を知った時は、いつも嬉しそうにしていました。
知識だけではなく、それを通じて心まで豊かに育てて頂いたことに本当に感謝しています。

 また園生活の2/3がコロナ禍でしたが、国や府の指示に盲目的に従うのではなく、園として先生方のギリギリの決断の中で、通常に近い日常の保育や行事を実施頂き、子供達のたくさんの成長した姿を見せて頂き、有難うございました。(年少の3学期、授業参観の後が終園式と、同日に行われたのも、良い思い出です。)

 長男の時からお世話になった先生方、バスの運転手さん、放課後のホームクラス等々……。
長男の芽生えさんから合計8年間、安松幼稚園を選んで良かったと思える宝物のような日々でした
 先生方、どうかいつまでもお元気でご活躍されますように、心から願っております。
全ての感謝の思いは伝えきれません。
本当に本当に有難うございました。

令和6年3月16日
健気に身を削り  体当たりで教育指導をされる先生方の姿を  思うだけで
涙が溢れ 私は教育の本当のあり方を3年間通して学ぶことができ
年長梅組 小林かの子

前田先生、赤星先生へ
 年長の1年間、小林純怜 大変お世話になりました。
3月に入り、小学校に行く嬉しさ楽しみでソワソワ、小学校ってどんな所だろうと思いを巡らして楽しみに過ごしている様子でした。
 ひな祭りの前日「幼稚園ずっと行きたいなー、前田先生とお別れするのいややし、前田先生、小学校に来てくれないかなー」と呟いた事に、安松幼稚園の教育理念の一つである人との別れを感じる情緒がしっかり育ったのだと確信しました。
 健気に身を削り、体当たりで教育指導をされる先生方の姿を思うだけで涙が溢れ、私は教育の本当のあり方を3年間通して学ぶことが出来ました。
もちろん娘の成長を感じ目頭が熱くなるのは当たり前ですが、それ以上に先生方の姿、「梅組のおかあさんです!!」と、立ち振る舞っていらっしゃる姿に胸いっぱいの感謝が溢れて参ります。
 不慣れな母親ですが、一生懸命な先生方、一生懸命なお母さんたちに囲まれ、私自身も一生懸命に幼稚園生活を送ることが出来ました。
恵まれた環境で、たくさんの事を親子共々学ぶ事ができました。
本当にありがとうございました。

令和6年3月16日
私は明日から  安松ロスに入ります
こんなにも親身に関わってもらえる先生に出会えることって
もうないんじゃないかな
年長桃組 山野真理子

上木原先生へ
 上木原先生…私は3月に入ったくらいから、やっと敢太郎が幼稚園を卒園することを実感し始めました。
幼稚園から帰ってくると、「泉の森コンサートまであと〇日!! 卒園まであと〇日!!」とカウントダウンが始まり、私の心にもさみしい気持ちが暴れ出しました。
卒園がさみしくてさみしくて、お手紙を書くことができませんでした
今日でホームクラスも最後。幼稚園を本当に卒園です。明日から私は安松ロスです。
 上木原先生、3年間お世話になりました。
年少の頃の敢太郎は、今ほどに口もまわらなかったので、「うきわらしぇんしぇー」と言っていたのが懐かしいです。
 年長さんでの初めての参観後、上木原先生のお話で、「お口でのお手紙が始まります」と聞いた時は、「ゲッ!! お口での手紙は、我が家に届く気がしません、上木原先生ぇ~~!!」と、心の中で叫んだことを今でも覚えています(笑)
初めて聞いた時はそう思ったのですが、日を重ねるごとに、いつがマラソンなのか教えてくれたり、「靴の名前が薄くなっているから、濃く書いてね。って、先生が言っていたから書いてくれる?」とか、「明日は〇〇の申し込みの紙持ってきてねって先生言っていた! 忘れるからもう入れとこか?」など、敢太郎のペースできちんと伝え頼もしく成長してくれました。
 敢太郎は、いつも幼稚園でゲットしてきた上木原先生情報を私に教えてくれていました。
・兄弟のこと ・飼い犬の名前 ・髪をカットに行く日 …… などなど。
そして「先生、声出にくくなっている。だから飴食べたらいいんちゃう!!って思う」とか、卒園が近づいてきた頃に「今日、上木原先生が卒園さみしくなっちゃって泣いてん。…かんちゃんもさみしい気持ちになっちゃってん。」と言った敢太郎。後日敢太郎のカレンダーを見たら、3/15のところに、泣き顔の絵が描かれていました。体も大きくなりましたが、心も優しい心に成長させてもらいました。
 子育てには悩みや不安が出てきます。そんな時、上木原先生とのお話で、曇っていた心が晴れたり元気をもらいました。何気なくかけてくれた言葉一つで、「よしっ!」と心のスイッチを入れ替えて前を向き直した日もありました。こんなにも親身に関わってもらえる先生に出会えることって もうないんじゃないかな、とも思っています。
 上木原先生!!! 本当に本当に山野家に出会ってくれてありがとうございました!!
3年間、敢太郎、私もお世話になったこと、とても感謝しています。
ありがとうございます。
私は明日から、安松ロスに入ります

追伸:真木さんも、安松ロスだそうです。
改めて、安松幼稚園では先生、周りのお母さん方と、人に恵まれていたんだなぁーと実感中だと話されていました。
お互い、4月からのスタート頑張ろうね!! と励ましあいました。
真木家の皆さんも、元気にやっているそうです。(理事長注:真木さんによる 安松幼稚園での思い出 も併せてお読み下さい)

令和6年3月16日
『今』を全力で駆け抜ける  安松らしい園生活を送らせて頂き
感謝の気持ちしかありません
年長桜組 澤原初恵

安松幼稚園のお世話になった先生方へ
 満3歳児から約4年間、大変お世話になり、ありがとうございました。
4年前の入園式は、緊急事態宣言が明けての6月で、3歳児ながら一緒に入園式に出席させて頂いた時が遠い記憶となるほど、目まぐるしい世の中の動きと生活の変化に大人が必死になる中、理事長先生の覚悟と判断のおかげで、姉の幼稚園生活とほぼ変わる事のない幼稚園生活を送らせてもらいました。
 二つだけ変わったことと言えば、音楽発表会が6月から3学期に移ったこと、ファミリーの集い(バザー)がなくなったことでしょうか。
 それでも、『今』を全力で駆け抜ける、安松らしい園生活を送らせて頂き、感謝の気持ちしかありません。
毎日元気に「幼稚園が楽しい。」土曜日になると「今日、幼稚園ないの? 次いつ行くの?」と言っていた史奈。小さな妹の手を引いて通園する後ろ姿は、立派な小さい大人でした。頼りにし過ぎていた所もあったなぁと私の反省もありますが…。それが自分の役目であると思ってくれていたのかなぁと思っています。
 また、毎日 朝早くから夜遅くまで子供達を守って下さり、本当にありがとうございました。若手の先生方が少しずつ安松の先生になっていく姿、お母さんになっていかれる先生方の姿に、勝手に同じ働くお母さんとして勇気を頂いていました。
 そして何より、私が史奈に「ママ、お仕事頑張ってね!」「お弁当美味しかったよ! 全部食べたよ!」「いつもありがとう!」「大好き!」と、沢山支えてもらった4年間だったなぁ…と、しみじみ思います。
 そんな優しい思いやりのある女の子に育つことが出来たのは、幼稚園での経験やお友達との関わり、先生方のご指導のお陰だと思っております。家族においても、仕事においても「やる時はやる、遊ぶ時は遊ぶ」を心に留め置き、日々精進していきたいと思います。

 担任して頂いた城野先生、辻野先生、津田先生、竹口先生をはじめ、居島先生、コンサートでは大変な中、私の心配までして下さり、ありがとうございました。岸本先生、どんな時も笑顔で子供達を遅くまで守って下さりありがとうございました。
安井先生、コロナ禍の中、子供達が過ごす園を様々な立場から守って下さり、ありがとうございました。

 妹の奈々未も、まだお世話になります。
今後とも、澤原三姉妹をよろしくお願い致します。

令和6年3月16日
安松幼稚園での思い出は
きっと何度も私達の心の中を灯してくれる  温かな光になります
年長桃組・桜組 真木幸美

の桜が咲く頃、新しい門出を迎えるソワソワした気持ち。
の日差しが照りつけるアスファルトとセミの声
の寂しさを感じる帰り道に漂う金木犀の香り
の鼻の奥がツーンと痛くなる張り詰めた朝の空気
 いつも四季を感じる時に思い出すのは、私が生まれ育った故郷(ふるさと)でした。
これからは自分の故郷だけでなく、泉佐野に引っ越してきた5年間、安松幼稚園で過ごした日々の景色がそこに加わります
 安松幼稚園と泉佐野市は、結加・陽大・奏多、私の第二の故郷(ふるさと)です。
会いたくなったら、いつでも帰ってきていいのでしょうか?
(理事長注:もちろんことです。いつでも遊びにいらしてください。4月24日に来られたとお聞きし、嬉しく思いました。)
安松幼稚園での思い出は、きっと何度も私達の心の中を灯してくれる温かな光になります。
 安井先生、奥本先生、居島先生、竹口先生、上木原先生、安松幼稚園全ての先生方、関係者の方々、卒園する園児たち、保護者の皆様のこれからの未来が明るく幸せである事を心より願っています。
今までありがとうございました。