理事長エッセイ
先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り
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子供中心主義・児童中心主義の終焉を願って
Ⅶ章.子供中心主義・児童中心主義の時代背景と歴史的な流れ
● 現在日本では、誤った児童中心主義が、教育現場を混乱に陥れている。学級崩壊や学校崩壊のかなりの部分が、この児童中心主義に起因していることに気付いていない所に大きな悲劇がある。
●戦後は、「平等」をどうはき違えたのか、親子も平等、師弟も平等というような風潮が強まり、誰もが「友達関係」になってしまった。
ため口を聞く生徒に対し、教師は注意するどころか「生徒に慕われている、これぞ民主教育の成果」と勘違いする向きも少なくないという。司馬遼太郎氏も『風塵抄』で「大人になって殿中や、他家を訪問して恥をかかないよう、母親が、息子や娘たちに丁寧な敬語を使った」という江戸期の旗本の教育を引き合いに、「いまはひどい。小学校は多くの場合、児童が先生に友達ことばで話しているのである」と嘆いていた。いや今はもっと進み、安松幼稚園に職業体験に来る中学生によると、「中学校では、生徒が先生に面と向かって名前を呼びすてにし、先生が生徒に○○さんと呼んでいる」とのことである。(一部、沢辺隆雄氏の文を引用)
●昭和40年代から50年代にかけて、教室から教壇が取り去られた。「教壇をなくすことで、先生と子供の段差をなくす」「児童生徒と同じ目線に立つ」という児童中心主義からくる皮相な愚かな発想であった。
● 目を世界に転じてみよう。
よく知られているように、かつてのアメリカの教育界の荒廃振りは尋常ではなかった。その原因は1960年代から70年代にかけての新左翼思想の影響にあった。学校の「自由化」「人間化」「社会化」の名の下に、従来の学校をすべて解体し伝統的な管理体制に縛られない非管理的な教育を行うべきだという理念が主張され実践されたのである。
児童中心主義からくる個人の自主性や個性の尊重と相まって、教師は毅然とした姿勢を失って、アメリカの学校から規律が失われて荒廃し、校内暴力やいじめ、不登校、犯罪も横行した。基礎学力も、がた落ちになった。
このため75年代から「学力と規律の向上」を要求する保護者らの草の根運動が起こった。児童中心主義から脱却し教育の基本に返れと、「読み・書き・算数」という学力の向上と、訓練・宿題の充実やしつけ指導の強化など規律の厳正、教師主導型の教育に大きく舵を切った。
ルソーやデューイ、新左翼の影響を受けた「自由教育」「体験教育」「非管理教育」から決別して、古き良き伝統に回帰しようという動きであった。と同時に、規律正しく平均的学力の高さを誇っていた我が国のかつての教育のあり方に学ぼうという姿勢であった。(1980年代から日本の教育を見習い始めたのは、イギリスも同じです)
(一部 八木秀次氏の 「ゼロ・トレランス」が教育を救う より引用)
●規律を失わせたゆとり教育
翻って我が国の教育政策はといえば、かつてアメリカが実施し、手痛い思いをして撤回してしまった政策をこれまで実施していたのである。
現在、若干の修正を試みてはいるが、子供中心主義・児童中心主義からの脱却を意識しない限り、問題は大きくは解決しない。
ただ大きな困難は、子供中心主義・児童中心主義が学校だけではなく、家庭・社会全体に蔓延していることである。
私には、「教師の責任である指導を放棄し、子どもの自主性に任せるという耳当たりのよい児童中心主義の風潮」は、「自国の責任ですべき国防を放棄し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意したという耳当たりのよい言葉に酔っている風潮」と、同根のように思える。
いずれにしても、学校(特に公立の小・中学校)に規律を取り戻して、ごく普通の教師が教科指導に専念できる体制を早期に確立することが、日本の存立に必要不可欠な項目であろう。
●最後に、子供中心主義・児童中心主義の終焉を願いつつ、高橋史郎氏の文を引いてこの章を終わりとする。
陥った児童中心主義
戦後日本のカウンセリングの主流はアメリカのロジャースの非指示的な来談者中心療法であったが、この「非指示的」という意味を取り違えた放任主義が教育荒廃に拍車をかけている。
神戸の小学生を殺した中学生の親に対して、「ストレスがたまっているから自由にさせなさい」と言い、家庭内暴力を振るう高校生の父親に対して、「子どもの要求をすべて受け入れ、無抵抗でいなさい」とアドバイスした専門家に問題があったといえる。
いずれも誤った児童中心主義に陥っており、このような「はれ物にさわるような保護主義」が、子どもと真剣にかかわることを放棄する風潮をもたらしている。
いくら乱暴されても抵抗しないという父親の態度は一見、子どもを尊重しているようであるが、息子にとっては実に冷たい態度であったと言わざるをえない。
クールに無抵抗を貫くよりも、父親の文字通り命がけの言葉と〈かかわり〉が息子には必要であったのだ。真剣な〈かかわり〉によってしか信頼は回復できない。
「長い目で見守る」「信じて待つ」と言うことは決して今、何もしないということではない。温かく〈かかわり〉、心の〈つながり〉を回復しつつ、「信じて待つ」ことが大切なのだ。
GHQの教育担当官が傾倒したデューイの進歩主義教育思想の強い影響を受けたロジャースの非指示的な心理療法は、戦後の「民主主義教育」の風潮にのって、またたくまに燎原の火のごとく広がった。神戸の事件や家庭内暴力に対しても、「何もするな」というアドバイスは間違っており、戦後のカウンセリングのあり方を根本的に見直す必要がある。
教育における父性と母性の調和、〈かかわり〉体験を通しての〈つながり〉の回復こそが求められている。
Ⅷ章.あとがき
● 昨今の日本の様子を見るにつけ、私が岸和田高校(1981.4?1991.3)勤務のある時期、もう20数年前になりますが、国語科の星野悌治先生と話したことが鮮明に思い出されます。
日本の国家としての有り様(個人の有り様も含む)は著しく低下したが、まだまだ落ちていくやろな。どこまで墜ちきった時に、リバウンドが生まれるか。それとも色々なことを人任せ・他国任せにしている性癖が身についてしまって、リバウンドが生まれない可能性もあるな。いずれにしても墜ちきるところまで墜ちないと、国民の意識は変わらんやろうな。
最後にまとめてみます。
(1)日本の立て直しは、幼児教育・義務教育の見直しにある。
(2)子供の思いや欲求を第一とし、子供のいやなことはやらせない子供中心主義・児童中心主義を止める。そこからは、子供の我慢力や耐性は育たない。
大人は親や先生は、言葉遣いでも、暮らしの中のしつけでも、自分が本当に正しいと思っている価値観を、子供に伝えなくてはならない。10歳くらいまでは、問答無用で伝えなくてはならない。生まれてから10歳くらいまでの間に大人に教え込まれた価値観は、長じて自分の価値観を形成するために必要不可欠な踏み台となろう。
(3)幼児期から義務教育にかけては、色々な分野において、型(基本)を指導しなければならないし、それには、強制を伴う。
ただし、強制といっても、下記のことはとても重要である。
★
教材の構築においては、子供の発達段階を考えること
★
授業の展開においては、先生が一方的におしゃべりして知識を押しつけるのではなく、先生の指導下において、問答によって、子供から色々と引き出すこと
(子供のやる気が出るまでずっと待っていたり、子供が聞きに来るまで指導せずにいたり、ほとんどの部分を子供に任せっきりにする 子供中心主義・児童中心主義とは根本的に異なるので、誤解なきようにお願いしたい。)★
先生の熱い気持ちと指導力が、子供のやる気を育てるのです。
(4)家庭で学校で上記のような指導を受ければ、我慢力も出来、物事に対する耐性も培われるであろう。
●長い時間、最後までお読みいただき、感謝申し上げます。
参考文献
【1】
「教えることの復権」 著者 大村はま(他2名) 発行所 筑摩書房
【2】
「日本人の矜持…九人との対話」
対談 藤原正彦 & 曽野綾子 発行所 新潮社【3】
「日本人として大切にしたい品格の躾け」 著者 川嶋優 発行所 ベスト新書
【4】
新聞記事より数点引用致しました