理事長エッセイ
先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り
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子供は真似をする天才・記憶する天才
それ故 全力で触れ合おう
新年明けまして おめでとうございます。
昨年も、子供達から多くの感動をもらいました。私達が子供を育てるというより、反対に子供達から生きるエネルギーを多くもらっているようです。
子供達の健やかな成長を願うと共に、本年が皆様にとって、心豊かな年になりますよう念じています。
またこの新春1月12日(土)には、第5回唱歌童謡コンサートを泉の森ホールで開催します。チケットを購入されている方は、どうぞお楽しみに!!
新年にあたり、子育ての最も基本的な部分について、日頃考えている事をしたためました。
〔1〕幼児の最大の能力とは?
この1月12日には、泉の森ホールで、第5回新春唱歌・童謡コンサートがあります。
今回出場の年長さん104名は、24曲を歌います。
いつも驚く事ですが、この記憶力には、私は全くついていく事ができません。
記憶力の横綱は、何といっても、赤ちゃんや乳幼児です。
赤ちゃんや乳幼児にとって、周りの出来事は新鮮でみずみずしく、スーッと、頭と心に入り、無理なく記憶されていきます。乳幼児の脳は、真似をし記憶するという観点からは、とても柔らかく何事でも吸収していきます。
アフリカのサバンナで生まれたシマウマなどの草食動物は、生後1時間ほどで、立ち上がり走り出す事の出来る能力を備えています。その能力がなければ、ライオンやジャッカルなどの肉食動物に食べられてしまうからです。
それに引き比べ、人間の赤ちゃんは、歩き出すまで約1年。ある程度のスピードで走り出すまでには、約3,4年かかります。
大変な違いです。人間は、歩く・走るという能力が発達していくスピードに関しては、草食動物には全く歯が立ちません。
それでは、人間にとって、「草食動物が誕生後、約1時間で走り出す事ができる」に相当する能力とは何でしょうか?
その一つは、周りの状況をキャッチし真似をする能力・そして記憶する能力です。
そしてこの能力は、比較的若い年齢から衰えていきます。
私達は、子育てに際して、幼児期の子供たちは、私たち大人(年齢にもよりますが)より、真似をし記憶する能力に関しては、はるかに上であるという事を忘れてはなりません。
幼児の最大の能力、それは、真似をし記憶する能力です。
補:学ぶという言葉は、真似るという言葉から生まれました。
具体的には
- ・
生後、僅か2~3年で、ほぼ日常生活に不自由のない程度に、母国語を使えるようになります
- ・
お母さんや先生などの、周りの人の癖や特徴を、すぐに真似をします
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上述の様に、コンサートで24曲を、楽しんで歌う事が出来ます
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発表会の練習で、自分の役以外の演技を覚え、演じる事が出来ます
他のクラスや他の学年の演技も、練習の幕間に見ているだけで、ほとんど覚えます- ・
文字、特に漢字は、苦もなく覚えます(理事長エッセイH.16.3 当園のカリキュラム・教材の捉え方 参照)
- ・
発表会の言語発表では、少なくとも私には覚えられない詩や文章を、年長さんは、簡単に記憶し、朗誦します
- ・
小林一茶の俳句など、先生が意味を説明し、2,3回口うつしで話しただけで、覚えます。そして真似をして、簡単に自作の俳句を口にします
- ・
その他いくらでも
等々です。
〔2〕「年齢が高くなるにつれて学ぶことが容易になる」という思い込みから
多くの混乱・誤りが生まれる
子育ては、上記〔1〕の子供の発達段階を知っているにこした事はありません。
家庭においては、親は子供を庇護し育てる立場にありますから、どうしても幼児のもっている能力(記憶力は大人をはるかに凌ぐ)を、過小評価しがちです。
年中保護者の橋本さん(H19.12 これぞ安松ファミリー参照)によると、「本当に今は、親が自分の子供中心で、“可愛い可愛い”で、辛い事は経験させない楽な道ばかり歩かせようという親が多い中……」という現象も、一部、この子供の能力を過小評価している中から生まれているかもしれません。
一方、教育のプロたる幼稚園においては、〔1〕の子供の発達段階を知らないということは、許されません。
「年齢が高くなるにつれて学ぶことが容易になる」……※ というわけでは、全くありません。 が、※ を正しいと単純に思い込む事から、子育てや教育に関する混乱・誤りが、多く出てくるようです。
教育は、
色々な分野
・読み ・書き ・計算 ・運動 ・歌などの音楽
・美術 ・自然(理科) ・社会 ・情操や心 など色々な能力
・真似る ・記憶 ・考察 ・比較 ・判断 ・決断
・実験 ・客観視 ・飛躍(仮説の構築) ・検証 など
を、交差・統合して、組み立てられなくてはなりません。
考察・事象の比較・仮説の構築・検証などの能力に関わる分野の場合は、中・高校生以降・大人の領域に入ってきます。
しかし記憶が大きな要素を占める分野においては、〔1〕で述べた様に、記憶力は幼児期(から小学校の半ば頃まで)が最大ですから、それに相応しいカリキュラムが用意される必要があります。
補:
江戸時代の寺子屋教育における「読み・書き・そろばん」は、上記の本質を見抜いています。
さらに現在、藤原正彦さんが、「小学校においては、一に国語 二に国語 三、四がなくて 五に算数」というのも、大正解です。
私に言わせれば、子供たちは、小学校1.2年生の間に、6年までの全ての漢字を楽に覚える。それ故、国語教育における読み書き分離を強く主張します。(理事長エッセイH.16.3 当園のカリキュラム・教材の捉え方 参照)
補:
それとともに、体が記憶するという観点からも、幼児期には、走る・ジャンプする・着地する などの 運動の基本能力をつけておくことも、とても大切です。
〔3〕子供は真似をする天才・記憶する天才 それ故 全力で触れ合おう
安松幼稚園では、子供を一人の人間として扱います。
3・4・5歳の発達段階に応じてのことは言うまでもありませんが、「良いことは良い・悪いことは悪い」という、人としての軌道に乗せるための躾を、最も大切にしています。
昨今の社会は、例えば、子供がスーパーで走り回っても、レストランなどでしたい放題をしても、病院で大きな声を出しても、「まだ小さいから」という理由で、しかたがない もしくは 当然である と考える人がかなりの割合でいます。
また子供が何かを欲しがったら、すぐに与える大人が増えています。
〔1〕で述べましたように、子供は真似をし覚える天才ですから、スーパーで走り回ったり病院で大きな声を出しても注意されなければ、それは正しい事だと、身をもって覚えてしまいます。
欲しがる物を、我慢させる経験をさせずに直ぐに与えてしまうと、欲しいものは何でも手に入ると覚えてしまいます。
こういう人としての大事な部分は、小さい頃なら、少しの躾で簡単に身につくのですが、大きくなるとこうはいきません。(高校生くらいになって、バイクを買う事をある事柄の交換条件に持ち出してくると、簡単には事は運びませんよ……)
それとともに、子供に対する時は、大人が真剣に一生懸命に接し触れ合う事です。
安松幼稚園の先生方は、子供を誉める時も 注意する時も 発表会の練習をする時も 教室での授業中も 運動場で遊ぶ時も、子供に正対して一生懸命の全力投球です。
必ず、子供達に先生の心は通じます。(H19.12 生活発表会 参照:その他のお母さんからのお便りもご覧下さい)
そして、日常生活や行事での先生との触れ合いを通して
- ・
物事を達成するには、頑張りや 努力や 一時の苦しみに耐えるなど
我慢する必要のあること- ・
心一つに協力すること
- ・
一生懸命がんばった後の充実感
- ・
完成した後の喜び・達成感
- ・
これらが自信につながり、物事に対する積極性が養われる 等々を
学んでいきます。
子育て・教育の要は、子供を一人の人間として扱い、ごまかさず真剣に一生懸命に触れ合う事です。ただその際、ちょっとしたユーモアと心の余裕を忘れずにね!!
今年が皆さんにとって、意義深く幸多い年でありますように念じながらエッセイを終わりと致します。