理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

平成23年8月1日
理事長 安井俊明
安松幼稚園が考える教育の本道

【Ⅰ】 「何が子供にとって良いことなのか」と悩んでいる方へ

●年少のお母さんから、この3学期末に、次のようなお手紙を頂きました。
 「私は、○○が物心ついた頃からずっと、子供をどのように育てるのが子供の将来にとって良いのだろうか」と悩んできました。
 ○○がまだ小さかった頃、私の子供への態度をみた祖父母から、甘やかしていると言われました。では、子供を叱らずに自由にやらせることがいいように言われています。何が子供にとって良いことなのかと悩んできましたが、安松幼稚園に入園し、理事長先生や担任の先生のお話を聞くにつれ答えが見えてきました。
 先生方のように、愛情を持ちながら甘やかすことなく凛とした姿勢で子育てが出来るよう努力していきたいと思います。」

●幼児期にこそ、基本的な生活習慣と共に、親の価値観を伝えなくてはならない。
 親や教師は、言葉遣いでも、暮らしの中のしつけでも、自分が本当に正しいと思っている価値観を、押し付けるほかない。嘘をついたり小さな者や弱いものに暴力を振るったら、問答無用で叱りつけなくてはならない。
生まれてから10歳くらいまでの間に大人に教え込まれた価値観は、長じて自分の価値観を形成するために必要不可欠な踏み台となります。
そういう価値観と共に、子供の将来を思う時、子供が嫌がっても、基本的な漢字や読み書き・九九などを、幼少期にたたきこんでやる。これが本当の親切です。子供の発達段階・実態に適した方法によるのはもちろんですが、しつけや教育というものは、「幼い時」と「新しく或ることを始める時」には、強制を伴います。

【Ⅱ】 教育とは一つの型(基本)を次の世代に伝えること

 
  • 安松幼稚園の考える教育の本道
  •  
  • 子供児童中心主義
  • 型、基本を大切に、時には強制も必要
  • 子供の自由にしたいようにさせる
  • 先生、親の凛とした姿勢(ユーモラスな会話やとことん抱きしめ誉めることも含む)
  • いかなる場合も、先生・親と子供は友達関係で同じ目線
  • 困難、障害を乗り越える力をつけたい
  • 子供がいやがることはさせず、子供の周りから困難・障害を取り去る
  • 先生と子供との真剣な関わり
  • はれ物にさわるような保護主義
  • 我慢し辛抱する経験も大切
  • 子供には我慢や辛抱をさせてはいけない
  • ちょっとした失敗の経験も必要
  • 失敗すると心に傷がつくのでさせてはならない
  • 相手のことを思いやる心を育てつつ適度な競争や切磋琢磨は必要
  • 競争は悪であり、一切させてはならない
  • 教育は指導
  • 教育は支援
  • 教え込みではなく、子供の発達段階を考え、子供との会話や触れ合いを通じ子供から引き出すことが大切
  • 子供から先生にはたらきかけるまで、何もせずに待っている



型がなければ自由になれず、型があるから自由になれる。そこから創造が生まれる

狂言師 野村萬斎さん

五七五七七の型は厳密に守っています
それが言葉に力を与えてくれるのです


現代歌人 俵万智さん


型があるから自由がある   ピアニスト 仲道郁代さん


型・基本の習得は、色々な困難を解決し乗り越えていく力を得ることに直結する



【Ⅲ】 日常生活での具体例

この親にしてこの子と感動

男性 74歳

雨上がりの午後の電車内の出来事だった。母親に伴われ頭にヘルメット、両膝両肘にサポーターをつけ松葉づえを使う、6,7歳の少年が乗り込んできた。身障者のようだった。中央部に着席した母親の手前で、つえの先がぬれた床で滑ったのか、少年が転び、大声で泣き出した。
 乗客の 1人が抱き起こそうとしたとき、母親から「お願いです。構わないで下さい」さらに「泣いたって誰も起こさないわよ。それでは立てない、足はどうするの、つえを離して…」など、矢継ぎ早にしかり励ます声が飛んだ。乗客はかたずをのみ、視線が親子に向けられた。
 少年が泣きながら苦闘の末やっとの思いで、つえを頼りに立ち上がった瞬間、母親はぬれ汚れた着衣もいとわず、しっかりと胸に抱き締めた。期せずして車内に拍手が湧き、会釈する母親はもちろんのこと、多くの人がこの情景に目を潤ませていた。
 ただ優しさと甘やかしだけで包み込む親たちが多い昨今、わが子のために厳しく心を鬼にして立ち向かう母親、そしてそれに応える子供。まさに、この親にしてこの子あり、最近にない感動を覚えた。


子供のしつけ 親が意識して

男性 28歳

 先日、ある病院の耳鼻科でのこと。4歳ぐらいの女の子が診察を終え、吸入器のある部屋で吸入しようとしていました。
 看護婦さんがスタートボタンを押し、機械が動き出しましたが、女の子はなぜか不満げな顔でした。
 隣にいた母親が女の子に尋ねると、「私が押したかったのに」と言うのです。看護婦さんは笑いながら「ごめんね」と言って立ち去りましたが、まだ不満な女の子に母親が「今度ね、次の時は押させてあげるから」と、何度も機嫌をとっていました。
 見る人によっては、ほほえましいとも映る光景でしょう。でも私には、そうは映りませんでした。私には、母親のすべきことは機嫌をとることではなく、「『ありがとう』と言いなさい」と感謝することを教え、子供をしつける絶好の機会であると映りました。
 あの女の子がそのまま大きくなれば、利己的で自分勝手で他人に感謝することも知らないわがままな人間になるのではないかと心配です。
 私ももうすぐ親になります。わが子だけでなく、近隣の子供にも目を配り、礼節を知る子供が1人でも多く育つよう、声をかけていきたいと思います。


新聞の投書から2例を挙げましたが、どちらが子供児童中心主義(子供の言いなりの教育、子供の機嫌をとりながらの教育)かは、直ぐにお解りでしょう。皆さんは、どちらの子育てを支持なさいますか。


【Ⅳ】 教育現場での具体例

 子供児童中心主義は、先生と生徒も友達のような関係が理想だとばかり、生徒の目線でということで、多くの学校で教壇が取り払われました。
 強制は良くない、嫌なことは我慢してまでやらせなくてよい。子供の好きなようにさせることが個性の尊重であるとばかり、教育活動は、指導ではなく支援であるべきだという主張が広まり、先生は指導者ではなく支援者と呼ばれるようになりました。
 そして、この考え方に汚染された多くの教師が生まれました。
競争させたり順位をつけることは悪であるという考えも、児童中心主義から出ています。例えば100m競争でゴール前で立ち止まり、全員が手をつないでゴールする。
また学期の終わりなどに、通知表の評価で、全員オール5をつけたりするのも、児童中心主義が背景にあります。
 それでは、最後に体育の先生である原田隆史さんの一文を紹介しましょう。

   

 先生は「支援者」という大間違い
 あるとき、見学した柔道の公開授業ではこんなこともありました。
指導プランはいいのですが、教師は何も指導せずに組み手ばかり自由にさせています。生徒がいつケガをするかわからないほど危ない状況です。
 「なぜ教えないのか」と相手の先生に聞くと、「先生、知らないんですか。私は指導はしません。支援をします。」と、胸をはって答えます。
 ここ数年、教師=支援助言者 というのが指導のモデルになっています。支援というのは生徒を支える側にまわりなさい、生徒が聞きに来るまで、やる気が出るまで待ちなさいという生徒中心の発想です。
 しかし実際には、柔道をさせていて左足をもっと内側に入れなければ危ないと思えば、それを教えるべきです。安全のために多くのことを教えて身につけさせなければなりません。支援という言葉を使っても、言葉にだまされて、「教えなくてもよい」ととるのは大変な誤解です。


 

私は、子供には成功も失敗も経験させなくてはならないと思います。
失敗して少し傷ついて、それに耐えることを通して、子供は「我慢力」というものを養い、物事に対する「耐性」を身につけていく。
 子供中心主義・児童中心主義の「子供を傷つけない教育」のたどり着いた先が「ゆとり教育」。そしてそこから日本中の学校に荒廃が広がりました。
その結果、公立学校の小中学校の現状は、約半数が学級崩壊(学校崩壊)し、そこに至っていないまでも、学校や教室で“ものごとを学ぶ”際の凛とした空気は、ほとんどの小・中学校からは消えてしまいました。
 子供の将来を思うとき、貴方は、「安松幼稚園の考える教育の本道」「子供児童中心主義」のいずれの子育てを選ばれるでしょうか。