理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

平成21年7月
理事長 安井俊明
古典の味わい・捉え方
―― 古典には集積された人間の知恵がある ――
 

安松幼稚園は、日本の文化を次の世代に伝え、日本の本来持っている良さを教えていくことが大切だと考えています。
その一環として、本年より、古典(論語などの漢文読み下し文 & 吉田松陰先生の言葉 & 大和言葉による和文 など)の素読・音読・朗誦をカリキュラムに取り入れました
 貝原益軒は、「年わかく記憶つよき時、四書五経をつねに熟読し、遍数をいか程も多くかさねて、記誦すべし」と述べています。
漢字の音読や古典の音読・素読・朗誦は、目と耳の両方から刺激されるので、脳が活性化されます。
子供には難しそうに一瞬思えますが、幼児期は丸暗記する能力が限りなく高いので、無理なく吸収していきます。むしろ大人の方が困難でしょう。
 幼児期のこの抜群の暗誦能力・漢字吸収能力を無駄にせず、公教育に生かさぬ手はありません。


古典には、集積された人間の知恵がある

 幼少期に、教養の基礎ともなる古典に、触れ、朗誦し、記憶することは、伝統文化を学ぶ素地になると共に、これから生きていく人生にとって多くの知恵を手に入れると確信します。


  

上記の趣旨で、この4月から、5歳児年長児を対象に、古典(論語などの漢文読み下し文 & 吉田松陰先生の言葉 & 大和言葉による和文 など)の素読・音読・朗誦をカリキュラムに取り入れました。
 大人が頭で考える時、古典は難しいとなるのでしょうけれど、子供にとっては、たんに初めて耳にする言葉に過ぎません。
しかも洗練された語彙、リズムは、耳に非常に気持ちよく、楽しんで触れ学んでいます。

具体例(1)
 あるご両親から、次のような興味深い話を耳にしました。 
小学校のお姉ちゃんがちょっと興味を持って、耳にピアスをしたいと言った時、弟の5歳児が次の論語を朗誦したそうです。

身体髪膚
これを父母に受く
敢えて毀傷せざるは
孝の始めなり

            

正にそうですね。
「髪の毛や膚を含め、身体すべては、両親から受け継いでいます。
その身体を傷つけないことが、親孝行の始めですよ。」
アッパレアッパレ!!

具体例(2)
 あるお母さんから次のような話も聞きました。
兄弟の上の子が駄々をこねた時、5歳児が朗誦した吉田松陰の言葉です。

今日よりぞ
幼心(おさなごころ)を打ち捨てて
人と成りにし
道を踏めかし

            

お見事という以外に言葉はありません。
古典は、短い文でもって、物事の本質(人間の生き方・家族の在り方・望ましい国の形)をズバリと表現しますね!!

具体例(3)
 これ以外にも多くの話をお聞きしました。
お母さんからのお便り「為せば成る」 「心の詩が心に根付いて」 「為せば成る(No.2)」をご覧下さい。

以上は具体例です


 サバンナの草食動物は生まれて1時間で走り出す能力がありますが、人間の子供はそれに代わる能力として、真似をする・記憶する能力が与えられ、暗誦の天才であると言えます。
福沢諭吉が主唱し設立された日本最古の社交クラブ「交詢社」や「子供達に美しい日本語を伝へる会」などのフォーラムでも、幼児は暗誦の天才であり、漢字・諺・四字熟語・俳句・短歌・名文・名詩、中でも漢詩・漢文は得意中の得意であることが明らかにされています。上智大学の渡部昇一氏は、「漢文読み下し文は、初めから調子よく読めるように作られているからだ。」と分析されています。
子供達は、歌を歌うように、論語などの漢文読み下し文を朗誦します。

 私は、限られた時間の中で、色々な科目の中で最も大切なものは、国語(言葉)だと思っています。
お茶の水女子大学の藤原正彦氏は、「現在は史上最悪の国柄崩壊の危機にある。立ち直る道は、初等教育における国語の充実以外にない。国語力はすべての知的活動の基礎だ。
国語は意思伝達の用をたせばいいわけではない。思考のための手立てでもある。」と、主張されています。
思考の基本、生きる知恵は、古典にあります。

 素読「読書百篇、意自ずから通ず」で、5歳児にもなると、その意味も理解します。
記憶力がはるかに高い幼児期にこそ、格調高い文を暗唱・朗唱させることは、これからの人生に大いなる潤いをもたらします。

古典には、集積された人間の知恵がある

幼少年期にこそ、古典を読める仮名遣いをきちんと教育し、教養の基礎を徹底的に叩き込むこと。上述のように、幼い時こそ、音楽を楽しむように、容易に楽しみながら吸収し、心の底に記憶していくのです。一生の宝になります。

(安松幼稚園新聞57号より抜粋)