理事長エッセイ

先生の熱意と指導力が安松幼稚園の誇り

令和2年8月30日
理事長 安井俊明
新型コロナウイルス流行に伴う日本の空気感

昨年11月の武漢発コロナウイルスの世界中への蔓延
その中で 本年1月頃から8月にかけての日本の色々な反応・空気感について
記してみました。
今後の再流行に備え テレビやマスコミの報道を鵜呑みにするのではなく
多くの情報を 私たち一人一人が自分の頭で考え 判断し 行動していくことが
出来ればという願いを込め
て、4編に分けて記してみました。
(この稿のほとんどは、7月半ばで書き上げていましたので その時点における一つの見解です。時の経過や今後の状況の変化で、ちょっと不都合な点が出たりして、修正されていくべきものと考えています。この点につき、どうぞご理解のほどお願いします。)

Ⅰ. 一身独立して一国独立す
――正当にこわがることは 
なかなか むつかしい――

武漢発の新型コロナウイルス感染に端を発して、日本が、そして世界中が閉塞感に包まれています。各ご家庭も、局面に応じて色々な苦しい判断を迫られた半年だったかと推察します。
 安松幼稚園では、今年の3月に、休園するかどうかの最初の意志決定を国・府から迫られましたが、色々なデータから時期尚早と判断し、年度末まで通常の教育活動を続けました。当時は、マスコミや国全体が零リスク信仰を煽っていましたが、零リスクを追い求めると、失っていく代償はあまりにも大き過ぎると考えたのです。
もちろん警戒を緩めることなく緊張感をもって、換気と消毒の徹底には万全を期しながら、通常の教育活動を続けたのです。
 4月当初には国から緊急事態宣言が発せられ、国・府からの外出自粛要請並びに休園要請があり、止む無く4月5月と休園、6月から通常の教育活動を再開しました。
休園期間が長かったので夏休みを短縮し、1学期は6月1日から8月7日、そして2学期の開始を8月24日からとしました。
まずはこの1学期、無事に通常の教育活動を展開できたことを、非常に嬉しく思っています。
 この半年の間に、次の三つの文❶❷⓬を思い浮かべました。これらは、新型コロナウイルス感染に関してだけではなく、一般的に人が生きていく上での指針になると思いましたので、私の思いの一端を述べたく思います。

❶ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのは やさしいが、正当にこわがることは なかなかむつかしい という物理学者で随筆家 俳人でもある寺田寅彦先生の言葉です。
この言葉は、昭和10年浅間山が小噴火した時に、山から降りて来た学生の「たいしたことはない。大丈夫」との発言に対して、地元の駅員が首を横に振りながら「そうではない。そうではない。」との会話を横で聞き、また噴火を知りながら平気で山に登って行った4人の登山者のことを知り、後に随筆「小爆発二件」に記したものです。
 原発事故に対する恐れ、地震や豪雨などの自然災害に対する恐れ、今回の新型コロナウイルスに対する恐れ 等々、この格言はなかなかに言い得て妙であります。
彼は他にも「国家を脅かす敵として、天災ほど恐ろしい敵はないはずである」また有名な「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉なども残されています。
※大正から昭和初期に書かれたエッセイ集「天災と国防」は、現代にも通じる必読書です。

❷一身独立して 一国独立す という福澤諭吉先生の言葉です。
彼は幕末の中津藩士として生まれ、一万円札の肖像でもおなじみです。大坂の緒方洪庵の適塾に入門、住み込みの弟子となり、23歳で適塾の塾頭となっています。福翁自伝には、門閥制度は親のかたきという有名な言葉や、適塾の勉強時代には、読書して眠くなれば机にうつぶせて眠り、枕などなく、塾生は皆そんなもので、勉強ということについては実にこれ以上に為しようがないという程勉強していたと記されています。
江戸の中津藩屋敷に蘭学塾を開き、後年三田に移り、慶應義塾大学となりました。
「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らずと言えり」という言葉で有名な学問のすすめは、明治5年から次々と発表され、340万冊のベストセラーとなったと言われています。江戸時代末期には識字率8割と言われる、市民の教養の高さが感じられる驚異的な部数です。
 学問することにより、まずは社会生活する上で必要な知識の習得と、日本と世界の状況、自然の道理を把握することを勧めました。それはひとえに、情報を正しく取捨選択する能力を一人ひとりが身につけることが目的でした。人々が自分で考え、自分の判断で行動すること。国民が一身独立することが一国独立につながり、それは学問をするかどうかにかかっているというわけです。列強によるアジア地域の植民地化という時代の中とはいえ、これらは現代に通じる不易な真実であると考えます。

Ⅱ. 安松幼稚園の考え
   国などの対応の遅さ

❸テレビや新聞などのマスコミが不安や恐怖をあおり
   多くの国民がマスコミ・テレビウイルスに感染しました

 今回のコロナ騒動では、資料や明確なデータの提示がほとんどなされず、PCR検査の陽性者数が(どういう理由でか)感染者数として連日報じられ、新聞などのマスコミやテレビのコメンテーターは、感情に基づく感想を述べ、国民の恐怖をあおりました。
コロナウイルスよりマスコミ・テレビウイルスに多くの国民が感染したように思えます。私もかなりの部分、新型コロナへの不安や恐怖に感染しています。
 新型ということで発生した最初の数ヶ月は致し方ないとしても、適切なデータの提示、資料に基づく論理的な分析が圧倒的に不足しています。

❹安松幼稚園の考え
 園(組織)としては、国や府の指示に盲目的に従い、市と同様の基準で園運営すれば、園にとってはある意味、気楽であり、責任という面からも楽になります。
 しかし今回のコロナ騒動では、そうはせずに、園独自に色々な情報を得、学び、分析し、独自の方針を打ち出しています。例えば国・府からの3月の休園要請を断り、年度末まで通常の教育活動を続けました。(現時点でも、10代未満には死者が一人も出ていない等の情報や、消毒や免疫や医学的な多くの情報を得、学び、分析し、意志決定の参考にしています。)
 新年度でも、その時点で消毒や換気の徹底など、園が適切で合理的であろうと思われる配慮をしながらも、零リスクではない状況下、個人懇談教育懇談会授業参観誕生会を実施し、さらに子供の喜びとなる七夕プール夕べの集いを実施したのです。
 それは、100%の安全(零リスク)を追い求めると、失っていく代償はあまりにも大きすぎると考えたからです。物事は一面だけを見ているとバランスが崩れていきます。
コロナに対する危険度と、自粛・中止することによる失っていく代償を天秤にかけながら判断してきました。
 私が口にするのもどうかとは思いますが、零リスクではありませんので、それらの判断はなかなかに厳しく勇気を必要とするものです。しかしそういう判断をしていく事こそが、子供達や保護者に対する誠実さであり、園の責任と考えています。
 R2.8のお母さんからのお便りでは、多くの保護者の方が、園の決断を支持され感謝の気持ちを述べてくれています。そういう発信が、今後の私達の学び・決断にエネルギーを注いでくれます。私もありがたく涙を流しながら、お母さんからのお便りを読みました。

❺国などの対応・政策は状況に応じて変化すべきもの あまりにも対応が遅すぎる
 新型コロナについては、新型が出始めた初期と、ある程度の事柄がわかってきた場合とでは、対応に変化があるのは当然の話です。
様子のわからない初期は、ある意味、零リスクを求めるかのような対策が必要な時期があるでしょう。しかし長期にわたって零リスクを追い求めると、失っていく代償はあまりにも大きすぎます。実際に起こっている事柄、色々な情報を分析し、どの情報が道理にかなっているかを判断し、次の行動を決めていく事が大切だと考えています。
 現時点で、新型コロナウイルスによる風邪は、指定感染症の第2類扱いとなっています。そして運営上、1類に準じての扱いも可とされています。
1類:エボラ出血熱(致死率5割~9割)、ペスト(致死率3割~6割) など
2類:結核 ジフテリア 重症急性呼吸器症候群(SARSコロナウイルスに限る) など
3類:コレラ 腸チフス など
……
5類:インフルエンザ などです。
 現在、今回のPCR検査で陽性と判定された人は、無症状や軽症であっても、指定感染症の2類(もしくは1類相当)として対応されているので、原則、病院やホテルに収容され、本当に入院が必要な重症者の病床を奪っている可能性があるのです。
 京都大学特任教授の上久保先生は「新型コロナウイルスの実態がかなり明らかになった現在、早急に指定感染症の指定を廃止すること、それができないなら2類から5類に変更すること」を主張されています。
 なんとまぁ、今回の風邪は、エボラ出血熱(致死率5割~9割)、ペスト(致死率3割~6割)、結核、ジフテリア、重症急性呼吸器症候群(SARSコロナウイルス)などと同等の危険であるという判断での対応が、いまだに続いているのです……。
 また5類のインフルエンザは、年間の患者数約1000万人 感染者数約2000万人 亡くなる方3000~5000人前後で、超過死亡では10,000人もいるのです。
 5類に変更されたとしても、今回の日本における武漢新型風邪は、5類のレベルまではいかないというのは客観的な数値から明らかで、上久保先生の仰る通り、感染症の指定を廃止することが、他の疾患とのバランスが取れることになると思われます。

Ⅲ. 今後 再流行の際は 色々な情報を鵜呑みにするのではなく 個人個人が考え判断し
行動できる一助になればと思い Drの主張やキーワードを記してみました

新聞・テレビの報道は現在でも、今回の風邪の恐怖を煽る方向が中心ですが、多くのDr が、発信されています。少し以前には、

・統計学的な手法で、対策をとらなかったら42万人が亡くなると予想された方がいました。

・免疫の考え方によらず、徹底した「検査」と「隔離・治療」で封じ込める世田谷モデルを提唱され、これをしなければ日本の多くの都市がニューヨークのようになると国会で話された方がいました。

・感染症やウイルスの専門家ではないある著名な方も、アメリカの状況を見ているとロックダウンまでして日本と比べものにならない対策をしているにもかかわらず、多くの被害が出ている。対策をとらなければ、日本でも10万人以上がなくなると発言された方がいました。

 これらの方は、都市閉鎖のような対策の方向を提唱されているようで、免疫の視点が欠けていることが多く、また日本と欧米の違いの分析がありません。
大雑把にいうと、PCR検査からの感染者数を基に、欧米の例を参考にし、統計的処理を当てはめておられるようです。(それぞれに違いはありますが……)

❼ウイルスに対しては免疫の視点なくして論じる事は出来ない ← これは大原則です
 順天堂大学医学部免疫学特任教授 奥村康先生(奥村先生は免疫学の権威)
   ウイルスによる疾患との戦いは、免疫しかない
 免疫学の権威である奥村先生の主張の要点を記します。①人とウイルスは分離できず共生しかなく、ウイルスとは、免疫で戦うしかない。②免疫とウイルスの戦いでは、絶対に免疫が勝つと決まっている。③今回の戦いも、身体は、免疫しか頼るものはない。④免疫は2重3重の構造になっているので、そう簡単にウイルス如きに人類が簡単に滅ぼされるような構造ではない。(免疫の本体はリンパ球) 奥村先生は、過去のウイルスによる疾患についても、次のように述べられています。「過去に世界で流行したスペインかぜや香港かぜ、あるいはSARSなど、いずれも最終的に収束したのは、人間が集団免疫を持ったから。今は猛威を振るっている新型コロナウイルスも、最終的には集団免疫によって抑え込まれていくし、それ以外に人間が勝利する道筋はないのです」

徳島大学名誉教授 感染症・免疫学が専門の 大橋眞先生
    PCR検査の間違った認識が今回の日本における騒動の原因
 PCR検査で陽性という結果だけで、新型コロナウイルス感染者と診断してはならない。曝露した(=体内にウイルスを取り込んだ)だけでは、感染(=ウイルスが定着し増殖すること)にはならない。ここではPCR検査そのものの意味についてまで触れる余裕はありませんが、曝露し、たまたま陽性反応が出ても、感染とはいえないということです。

次に、免疫を重視されている方を紹介しておきます。
順天堂大学医学部免疫学特任教授 奥村康先生
京都大学大学院医学研究科特定教授 上久保靖彦先生
吉備国際大学大学院保健科学研究科 高橋淳先生
国際医療福祉大学大学院教授 高橋泰先生
京都大学ウイルス再生医科学研究所准教授 宮沢孝幸先生
徳島大学名誉教授 大橋眞先生
これらの方の主張は、PCR検査からの感染者数に惑わされ、予想や仮説を述べているのではありません。色々なデータベースに基づいた解析であり、事実の提示です。
上久保靖彦先生は、「インフルエンザの流行カーブをウイルス干渉から解析した。GISAID等で、変異型の時期、広がりを解析した。根拠なく想像で申し上げているわけではありません。

仮説ではなく事実そのものなのです。」と話されています。
ここでは代表として、上久保先生の説を紹介しておきます。

 免疫の考え方に立脚する時、PCR検査の陽性者を感染者数と読み変え、その感染者数の増減で一喜一憂するのは道理から外れているようです。

❿今後、色々な情報を判断するのに必要なキーワードをいくつか挙げておきます。
自然免疫  交叉免疫  獲得免疫  免疫と抗体  ADE(抗体依存性感染増強)
集団免疫  B細胞   T細胞   ウイルス干渉  サイトカイン  
ウイルス変異   曝露   PCR検査とは  陽性者数  感染の意味 
正しいカットオフ値とは   GISAID   超過死亡

⓫不審な事実
 6月18日に、厚生労働省から各都道府県に対し、「新型コロナウイルスへの感染がわかり、その後死亡した人について、死因を問わず、新型コロナウイルスで死亡した感染者としてすべて公表するように」との連絡がなされました。
 その意味するところは、新型コロナウイルスの検査に拠れば陽性者であるが、今まで患者を見守ってきた経緯から、例えば明らかに癌など別の病気が死因となっている人をも新型コロナウイルスの死者として計上しろという指示です。実におかしなことです。
この通達により、死因は癌(腫瘍)であるにもかかわらず、新型コロナウイルスで死亡したとの見直しを余儀なくされたのです。
その結果、埼玉県では、新型コロナウイルスでの死亡者数が13人増加と訂正せざるを得なくなったとのことです。全ての都道府県で、この理不尽な見直しがなされています。
 新型コロナウイルスでの死亡者数を増やす結果になる、死因の事実を捻じ曲げようとするこのような通達を出したのは、何のためでしょうか?

Ⅳ. 最後に 学びの中で私が感じたこと

⓬明けない夜はない
 多くのDrから情報が出ていますが、粗く言えば次の二つ

・PCR検査の感染者数(正確には陽性者数)を基に、感想や仮説の論述

・この約8ヶ月間に起こった事実(データベース)を基に、分析された論述

に大別されそうです。
 今回のコロナ騒動を見るにつけ、正当にこわがるためにも、色々な論文・情報に接し、何が正しいかを判断する力が個々人に必要と思われます。その為に、色々な先生の紹介や用語を記しました。テレビや新聞の情報を鵜呑みにするのではなく、ご自分で考えられ判断されることが一番重要だと思います。
 まさに最初に記した ❶正当にこわがることは なかなかむつかしい という言葉、また各人が情報を正しく取捨選択して❷一身独立して考える ことの重要性を強く感じました。
 最後に シェイクスピアのマクベスに由来すると言われている 明けない夜はない という言葉で、この稿を終えると致します。